ー【全国患者の会】ー
薬害の歴史と今回の薬害
わたしたちは、自分自身が薬害被害者となり、薬害被害者が世の中に認められない苦しさを知りました。
どれだけ訴えても、家族にも友だちにも信じて貰えない。
病院にさえワクチンによるものだと信じて貰えない。
治療してほしくても、心因性として取り合ってもらえない。
このリスクを言わずに接種だけが推進されていきます。
自分自身の被害が信じて貰えぬまま、世の中との乖離が広がっていき、
更なる苦しみに繋がっていきます。
過去の薬害被害者の方々も、同じ経験のなかで苦しまれてきたのではないでしょうか。
また、過去の薬害はどのようにして起こり、
薬害被害を受けられた方々はどのような経験をされてきたのでしょうか。
これらの薬害と戦い、どれほどの努力を重ねられてきたのでしょうか。
そして、
ー過去の薬害被害者の方々が勝ち取ってきてくれた教訓があるにも関わらず、
なぜこの国は薬害を繰り返すのでしょうか。ー
そのような気付きになればと、このページを作成させて頂きました。
本項の情報は、レギュラトリーサイエンス財団刊行の「知っておきたい薬害の教訓」
を参考にさせて頂きました。
はじめに
過去の薬害に苦しまれてきた方々は、長年に渡り必死に戦ってこられました。それは、健康被害を受けた患者も、ご遺族の方々も共にです。
まず「薬害問題」を前に、ご遺族の方々も私たちも仲間であることを忘れてはなりません。
そして、「薬害」の有無が認められて漸く、一旦中止と評価・調査、そして救済へと繋がっていきます。
これから、私たち「新型コロナワクチン」健康被害患者の声も、世の中に届けていかなければなりません。しかしながら、それは決して簡単な事ではないのです。
このワクチンは国民の大半が接種したものであり、健康被害の声でさえも、接種当事者にとって聞きたくない情報の一つにもなり得るからです。
この事実は、家庭・職場・学校そして病院でも、「信じて貰えない」という形で身に刻まれた当事者も多いのではないでしょうか。
これが、私たち健康被害者と世の中との”乖離”です。
薬害問題の難しさの一つであると、私たちは考えております。
私たちは、この「世の中との乖離」を埋め合わせながら、声を届けていかなければなりません。話を聞いて貰いたい相手の気持ちに寄り添わずして、私たちの声は聞いて貰えるわけがないのです。
これからも、この「世の中との乖離」と、そして
耳を傾けてくださった方々への感謝の想いを決して忘れず、
私たちは声を上げて参ります。
薬害とは
一口に「薬害」と言っても色々なパターンがあります。
今回の新型コロナワクチンは、どれにあたるでしょうか。
下記は故 土井脩先生による薬害の分類です。
①
用法容量、仕様上の注意等を守って使用しても起こり得る副作用・避けられない副作用でも、その被害の範囲が個人レベルを超えて広範囲・社会レベルの問題となるもの
③
適正使用されていれば防ぎ得た副作用のうち、その被害の範囲が個人レベルを超えて広範囲・社会レベルのもの。
(医療過誤・医療事故に近いもの)
②
適正使用されていれば防ぎ得た副作用のうち、その被害が個人レベルで社会問題化していないもの。
(医療過誤・医療事故に近いもの)
④
企業や行政の瑕疵や、不作為等が原因で起こった医薬品による健康被害で、
その範囲が個人レベルを超えて広範囲・社会レベルのもの
薬害の歴史
これまで日本は、かなり沢山の薬害を経験しています。
先人が闘い勝ち取ってきた教訓は活かされず、まだ裁判中の薬害事件もある中で、
今回の薬害は発生しています。
2010年の「最終提言」は一体何だったのでしょうか。➡[厚生労働省 最終提言]
過去の薬害と教訓
日本では、これまでも本当にたくさんの薬害が引き起こされてきました。
過去の薬害問題の中でも、その教訓が生かされていたら、今回の新型コロナワクチンによる薬害もここまで被害が拡大しなかったのではないか。そのように感じざるを得ない教訓をもつ過去の薬害問題を、ここに記載させて頂きます。
サリドマイド薬害
新薬による先天奇形児被害
<経緯>
1958年 安全性をうたった睡眠薬として販売
1959年頃 先天奇形の新生児が多く確認される
1960年 サリドマイド配合の胃腸薬が販売。つわりに使用
1961年 西独のレンツ博士が「ある薬剤が原因とみられる」と薬剤名を伏せて発表(レンツ警告)
1961年11月 西独は回収
1962年9月 約一年も遅れて、日本でもようやく回収
■被害認定の背景/薬害発生の原因
・製薬会社が事実に反する資料を申請書に添付、
厚労省はそれを十分に調査しなかった。
・警告の声が出ていたのに無視した。
・10年以上も因果関係否定、福祉政策を講じず。
■裁判にて判明した事実
・新薬の審査がかなり短い時間で実施されていた。
(サリドマイドに関しては30分ほどの可能性)
・薬事審議会には掛けられていなかった。
※「西独で使用されているから審議会にかける必要なし」となったが、実際にはこの新医薬品調査会は、西独で使用される前に行われていた。
・「レンツ警告」を知りながら使用を継続した。
■発生していた社会問題
・「遺伝」として言われ、母親への差別につながった。
スモン・キノホルム薬害
家庭用置き薬としても使われていた薬による薬害
1955年ごろから1970年まで15年に渡り、1万人余りの患者を出した。
腹部症状から、痺れ・麻痺に進行、視神経をやられたり意識障害を起こして命を落とされた方もいた。
<経緯>
1955年頃から散発的に患者が出始める
1958年には学会にて症例報告
1964年 第16会日本内科学会総会のシンポジウムにて「スモン」という病名を使用
1964年以降 各地でスモン患者が多発
1964年 厚生省にて研究班発足(3年後、確かな結論が出ないまま解散)
1968年~1970年 年間1000人以上の発症者
1970年頃 スモン・ウイルス説
1969年 ウイルス学者甲野氏班長の第二次調査研究班によって、キノホルムが原因と突き止める。
1970年9月 厚生省 キノホルムの販売を中止
■被害認定の背景/薬害発生の原因
●海外では何度もキノホルムの毒性と、毒性の蓄積についても報告されていた。しかしながら、日本ではそのような情報が一切伝えられなかった。
●「スモンにはキノホルムが効く」と製薬会社が知見を依頼し、論文まで出された。しかしながら患者の中には重症化した者もおり、治験を実施した病院は自分の病院だけ投薬中止、その報告を公に行わず。中止までの8か月間患者が出続けていた。
●医事解説者や薬事解説者による、根拠希薄な言説、不確かな論文の引用、医学研究社の根拠不十分な学説
■発生していた社会問題
・メディアにも「奇病」「伝染病」と報道され、追い詰められた患者の自殺なども起こった。
ジフテリア薬害
被害を知りながら接種継続による被害の拡大
<経緯>
●1948年の予防接種法は、ワクチン義務化と
履行しない場合の罰則規定もあった。
●京都で予防接種→島根で予防接種。
京都でも島根でも死亡者が発生。
●接種後と、「第二期死亡」と呼ばれる後麻痺による被害者も発生。●発症状況の調査により、一部地域への偏り
解剖所見から使用薬に毒素残存を認め厚労省が公表。
■被害認定の背景/薬害発生の原因
●ロット差を加味した国家検定が行われなかった。
●京都で被害が出ていたことが分かっているのに島根で同ロットを接種し被害拡大。
→「国家検定済みワクチンに毒素が残っているはずがない」という過信
●そもそも「予防接種に緊急性はあったのか?」
■発生していた社会問題
・生存被害者の後遺症
MMR薬害
日本では継続された接種
<経緯>
1989年~1993年 法定接種
■被害認定の背景/薬害発生の原因
●海外ではすぐに接種中止となったものの
日本では製造・販売・接種が続けられ被害が拡大。
薬害肝炎
加熱製剤に切り替えるも、たった10日で承認され更なる被害が発生
<経緯>
1986年~1987年 C型肝炎集団感染が発生し報道
→厚生省は調査に乗り出す
→再評価調査会にて「製剤の有効性が認められず特に肝炎に対する安全性を裏付ける資料も乏しい」と指摘
→しかしながら国と製薬会社は非加熱製剤から加熱製剤に切り替え、たった10日で承認
→加熱製剤を投与された患者からも多数の感染者を出す
■被害認定の背景/薬害発生の原因
●天下りと癒着
改正されてきた
薬事法
※表は一例です
サリドマイド薬害後
・承認申請に必要な資料の厳格化
・医療用医薬品と一般用医薬品を区分し、それぞれの性格を考慮した承認審査の実施等
・医療用医薬品の広告の禁止
・新薬承認後の副作用報告義務
・副作用モニター制度
スモン薬害後
・再評価・再審査制度法制化
・企業の副作用報告義務化
・緊急命令、回収命令規定新設
・新薬承認後の副作用報告義務 等
イレッサ薬害後
・市販後安全対策強化
・条件付承認制度強化
・市販直後調査制度強化
あとがき
日本は、これだけ多くの薬害を経験し、
そのたびに被害者当事者やご遺族が戦い、二度と繰り返さぬように様々な見直しも実施されてきました。
今回の「新型コロナワクチン」では、臨時承認の元でその教訓は生かされず、
それだけでなく、被害者の救済も行き届かぬまま更なる接種を勧めている状況です。
過去の薬害でも、命を落とされた方は大勢おり、その分健康被害を受けた方も存在します。
薬害は「いのちの問題」です。
教訓を国に責務を委ねても、こうしてまた薬害が発生してしまいました。
国民一人一人が薬害への意識を高めて、先人の教訓を活かす必要があると思わざるを得ません。